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Short story -EveningCoffee-(後編)

 

―エスメラルダ兄妹―

 

「アドリアーナ、母さんが夕食の時間だって」
ノックとほぼ同時に開かれたドアから顔を出したのはアドリアーナと呼ばれた少女にそっくりの青年だった。
「…すぐに行きます」
読んでいた本を閉じるとアドリアーナはそれを本棚へと戻した。
「それ、エミィがいつも読んでた本」
つかつかと部屋の奥へと進んだ青年は本棚の前で足を止める。
「あの頃は姉さんが読んでた本、難しくてよく分からなかったけど今はオレ達がその姉さんと同じ歳、か」
その言葉にアドリアーナは切なげな表情で自分よりも少しだけ上にある青年の顔を見上げた。
「私にとってもエミィ姉さんは大切な存在でした。けれどそれはレオお兄様だって同じ。お兄様だって…私にとっては大切で…」
その言葉を遮るようにレオと呼ばれた青年の長い指がアドリアーナの髪に触れる。
「綺麗な髪だね。髪の色はオレよりアドリアーナの方が姉さんに近いかな」
「……」
その言葉にアドリアーナはただ黙ってレオの顔を見つめた。
「オレがやってる事が嫌い?」
悲しげに細められるレオの瞳にアドリアーナは大きく首を横に振る。
「そんな事ありません!でも…私にはお姉さまと同じくらいお兄様が大切なんです。だから…お兄様には自分自身の事を、もう少し大切にしてもらいたくて…」
言葉を選ぶように告げるアドリアーナの髪をレオの長い指が優しく梳いた。
「アドリアーナは優しいね」
その言葉にアドリアーナはうつむくとレオの胸へと顔を埋める。
「優しいのは…私じゃなくてお兄様の方です…」
アドリアーナの言葉に苦笑を浮かべてレオはもたれてくる妹、アドリアーナの華奢な肩を優しく抱き締めた。


End…

―シャーロット―


「あら、このタルト美味しいわ」
シャーロットの言葉に隣で紅茶を注いでいたメイドの顔がほころぶ。
「恐れ入ります。先日お嬢様がリクエスト下さったダマスクローズのジャムを練りこんだタルトでございます」
「そうなの、とても良い香りね。このタルト、今度学校の友達に持っていきたいから後で作り方を教えてくれるかしら?」
「ええ、もちろんでございますお嬢様」
シャーロットがメイドとの会話を弾ませているとそのシャーロットにそっくりの美しい銀の髪をクラウンヘアに編みこんだ女性が隣で上品に口元を押さえて笑った。
「まぁシャーロット、あなたが手作りのお菓子を持って行きたいなんて好きな人でも出来たのかしら?」
「からかわないで下さい、お母様。大切なお友達に持って行きますのよ。音楽活動をされている方なのですけれど、連日放課後遅くまで残って練習されているようですから、甘い物を差し入れしましたらきっと喜ばれるかと思いますの」
“それに、これで私とスワーナの距離も一気に縮まりますわ”
テーブルの下で小さくガッツポーズをしてシャーロットはキラキラと目を輝かせる。
「学校生活の方も楽しそうで何よりだわ」
年頃の少女らしい娘の一面に何気なくそう口にしたつもりだったのだが、そんな母親の言葉にシャーロットは少しだけ瞳を曇らせた。
「でも本当は…こんなのんきな事を言ってる場合じゃありませんのよね。もっと頑張って、お父様に近づかなくては…」
「シャーロット…あなたの気持ちは私もお父様だって嬉しく思っていますわ。でもね、あなたを英国の一流スクールではなく日本のごく一般的な学校に進学させたのは、今しか出来ない、学生としての楽しみを見つけてほしいからなの。将来的にお父様の会社を継ぎたいと思ってくれている事はとても嬉しいけれど、もっと自分の人生を楽しむ事を学ぶのも今のあなたには必要な事ではなくて?」
母親の言葉にシャーロットは小さく肩をすくめる。
「ええ、ちょっと肩に力が入りすぎてしまいましたわね。でも今という時間も、ちゃんと楽しんでいますわ」
この春入学した『私立菊陽高校』
そこで出会った仲間達と今日新たに加わった『東茶屋 武』というメンバー。
“騒がくも、賑やかな学生生活を謳歌している事には違いありませんわね”
と心の中で呟いてシャーロットは少しだけ緩んだ口元に紅茶を運んだ。


End…

 

 


―スワーナ―


「これでよし」
音楽室のドアにしっかりと鍵が掛かった事を確認してスワーナはその音楽室の鍵を指先でくるくると器用に振り回しながら歩き出す。
窓の外に目を移せば、野外活動もそろそろ終わりの時間を迎える頃なのだろう、校庭のあちこちに散らばった野球ボールを拾い集める野球部員達の姿をナイター照明が明々と照らし出していた。
「きゅ~っ」
室内での部活動は外の部活よりも早めに切り上げる所がほとんどのため、すっかり生徒の姿の見えなくなった廊下にスワーナのお腹から小さな音が響く。
「そういえばお腹、すいたかも…」
よく考えればお昼に購買部で買ったパンを食べて以来何も口にしていなかったと思い出す。
楽器を弾いている時はそれに夢中になりすぎてお腹が空いた事も気付かなかったりするのだが、ギターを持って演奏しながら歌うというのなかなかの体力勝負だったりする。
「もう一つパン買っとくんだったな」
ふとお昼に並んだ購買部の光景が頭の中に蘇った。
「そういえば…」
今日はいつもそこにはないめずらしい少女の姿があったことがふとスワーナの記憶を掠める。
どう見ても、昼食のパンを巡る争奪戦の喧騒な雰囲気が不似合いなその少女は同じクラスメイトではあるけれどほとんど会話は交わした事のない少女、リントンだった。
普段は食堂でゆったりと昼食を取っている彼女が購買部の外まで群がっている生徒の群れを前に思い詰めたような顔をしているのは、他人にあまり興味を持たないスワーナにも放っておけないように見えた。
「購買部のパンが買いたいの?」
自分でも不思議だったが、気付いた時にはそう声を掛けていた。
「え、ええ。でも購買部ってこんなに賑わってるんですね」
「…」
“今日は食堂の『日替わり定食Aセット』がハンバーグカレーだから、そっちに男子生徒が流れてる分これでもいつもより少ない方だと思うけど”
という言葉は、きっとこの世間離れしたお嬢様には衝撃的な言葉だろうなと飲み込み、代わりの言葉をつむぎ出す。
「何か食べたいものある?私、自分の分買いに行くから、欲しい物があるなら一緒に買ってくる」
「えっでも…お願いしてもいいんですか?」
目の前の戦場とスワーナの顔をリントンが心配そうな視線で交互に見つめる。
「私の事なら大丈夫。人ゴミを縫っていくのは慣れてるの。バスケで鍛えてるし、ライブとか行ったらこんなもんじゃないよ」
「は、はぁ…」
当たり前の言葉を言ったつもりだったけれどそれでもこのお嬢様には結構なカルチャーショックだったらしい。
「じゃ、じゃあスワーナさんのおススメのパンをお願いします!」
ぎゅっと両手で拳を握ると何かを決心したかのように強い眼差しで見つめるリントンには何かいつものフワフワしたお嬢様とは違う力強さを感じてスワーナはくすっと微笑んだ。
「あの後…やってきたセラードに誘われて、お昼ご飯を屋上で皆と食べたんだよね、リントンも一緒に」
いつもは大好きなロックミュージックをお供に一人で音楽室で取る昼食。
それとは全然違う雰囲気の昼食となったけれど、それはそれで楽しかったなと思い出す。
「明日は…やっぱりパンもう1個買っとこ」
もう一度空腹を訴えるように鳴ったお腹をさすってスワーナは音楽室の鍵を返すため職員室へと向かっていた足を速めた。

End…

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