top of page
私立 菊陽高校珈琲苦楽部
九杯目 放課後と珈琲

「…ああ、軽い脳震盪だから。他には大きな外傷もないし、先生も心配ないだろうって…うん、じゃあまた…」
目を覚ました武の耳に途切れ途切れに聞こえる自分の声。
ああそうか今は自分の体にカフアが入っているからカフアがしゃべっているのか、少しずつ浮上していく意識でそう思いながら武はゆっくりと体を起こした。
「武?起きた?」
ベッドが軋む音に武が目を覚ました事に気付いたカフアが、仕切りカーテンの向こうから顔を出した。もちろん外見は今、武の姿なのだが。
「ここ…保健室、か?」
無機質なパイプベッドの上で武は辺りを見渡す。
「そう、覚えてる?体育の授業中にボールをまともに食らっちゃって倒れたの。まだ頭痛むかな?」
「いや、もう大丈夫そう。けど、“怪我するなよ”って言っておきながらオレの方がこれじゃあ…悪かったな」
「武…」
ほっと安堵する顔に“そんなことは気にしなくて良いのに”と少しだけ憂いを含んだ表情でカフアがその名を呼ぶ。
けれどその顔はまたすぐにいつもの元気なカフアのそれに切り替わって――
「まったく、体育の授業中にボーっとしてるなんて、私の頭にたんこぶ出来たらどうするつもりだったのよ!って・・・怒りたい所だけど。でもホント、大した怪我なくてよかった。あ、私の体がじゃなくて武がって意味よ。あ、そのっ、こ、これはっ…ふ、深い意味はないんだからねっ、多分…」
自分で言っておきながら照れて慌てるカフアに、武の心臓がトクンと音を立てて跳ねる。
目の前でもじもじと体をくねらせられているのは高校1年生、健全なる男子高校生そのものの自分の姿なのだが、武の脳裏にはそれとは違う、カフア本人の面影が重なって見えてしまったのだ。
“深い意味はないんだからね”と言いながらも恥ずかしそうにうつむくカフアの姿は幼い日に一緒に遊んだ自分の記憶の中の少女よりも随分と大人びていて思わず視線が逸らせなくなってしまいそうになる。
遠く幼い日の記憶の中にはなかったカフアへの感情が武の心の中でその心拍数を上げさせた。
そんな自分の頭の中の思考にはっと我に返ると、武は照れくささをごまかすように慌ててカフアから視線を逸らした。
「そ、そういえばさっき誰かと話してなかったか?」
「ああ、シャロンよ!シャーロット・ウォーレンフォード」
話が切り替わった事で意識が少し逸れたのだろう、カフアも何事もなかったかのように新しい話題に乗っかってくる。
「私達と同じ一年生で“珈琲苦楽部”のメンバーの一人なの。私が脳震盪起こして保健室に運ばれたってセラードに聞いたみたいで、血相変えて飛び込んできたのよ」
「へー、じゃあその子もカフアの親しい友達なのか」
武が訪ねるとカフアは少しだけ渋い顔をする。
「うーん、親しい友達っていうか倶楽部仲間っていうか…」
そこで止めてしまうカフアの言葉は何とも歯切れの悪い答えだ。
「でもまぁタイミングはよかったかも。武がまだ気を失ったままだったから、私が代わりにちゃーんと『カフアの幼馴染でクラスメイトの武』として自己紹介をして、カフアの事なら心配はいらないって帰したのよ。武が目を覚ましてたら私たちが入れ替わってる事を知らないシャロンも武を私だと思って色々話しかけてきたはずでしょう?」
そうなるとまたややこしいからと苦笑交じりに続けるカフアにそれもそうだなと武も頷く。
互いに体と中身が入れ替わってから一日、クラスメイトや友人達とのやりとりも、ここまではぎこちないながらも何とかバレずに乗り切ってきた。
けれど、他人になりきるというのはやはり簡単なことではない。
「それにね、シャロンってセラード達と違って変なとこ鋭かったりするのよね。私の事よく見てるなーっていうか、なのに変につっかかってくるような刺々しい所もあったりして。けどさっき、私の事を心配してここに飛び込んできた時のシャロンの姿はちょっと意外だったかな。本気で心配してる風だったし、あんな表情私の前では見せたことなかったから」
「ふーんそれってさ…」
相槌を返しながら武はカフアの言葉にシャーロットという少女の事を考えてみる。
普段は素直じゃないくせに相手の事をよく見ていて、それでいて何かあると心配する。
それはもしかしたら、自分の気持ちを素直に伝えられてないだけではなのではないだろうか?
「それって何?」
話の続きをなかなか言葉にしない武の言葉をカフアが促す。
「ああいや、なんでもない」
聞いているだけでも分かりやすい態度ではあるのだが、それならなおの事、自分がカフアに伝えるべきではなくてシャーロット自身がカフアに伝えた方が互いに気持ちは伝わりあうだろう、武はそう思い直して言葉を飲み込んだ。
「何よー変なトコで止めないでよ。余計気になるじゃない」
カフアがそう口を尖らせた時、保健室の扉が開く音が二人の耳に入ってくる。
武とカフアがそれに反応するよう同時にドアの方へと視線を向けると聞きなれた声も。
「武君、カフアちゃんの具合はどうかしら?」
“どうする?”と言いたげに振り返ったカフアに“うまく合わせる”と武は軽く頷いてアイコンタクトを送るとリントンであろう声が聞こえてきたドアの方に返事を返した。
「リントンだよね?心配かけてごめんね。もう平気」
その返事を聞くや否や、走り寄ってくる足音が保健室に響いてカーテンが大きく波打つ。
リントンにしては少々乱暴な動きだが、それでも声の主がリントンである以上彼女が顔を出すのだろうと思っていた武とカフアの前、カーテンの向こう側から現れたのは武の見知らぬ女の子だった。
さらりと肩に掛かるストレートの髪は美しい銀髪で、今は窓から差し込む夕日が紅く映っている。
武にじっと視線を注ぐ瞳はハーフアップにされた髪に留められている大きなリボンと同じ澄んだサファイアブルーだ。
そこには驚きと心配の色が浮かんでいるように見えたのだが、それはほんの一瞬の事だった。
「あらカフア、もう目を覚まされたのですね」
すっと背筋を伸ばし肩でしていた息を整えるように胸の前で腕を組んだ少女がベッドに座ったままの武を見下ろしながらそう告げる。
整った顔立ちは昼間会ったアイリーンに雰囲気が似ているが、どちらかといえば柔らかで表情豊かなアイリーンに比べこちらは少々とげとげしいそれだ。否、必死にそう振舞おうとしている、と言った方がいいだろうか?
カーテンを開けた時の様子も、明らかにカフアを心配しているそれだったのに、それを隠すように慌てて整えられた姿勢も、告げられる言葉も、そんな様子とは真逆に冷ややかさを装っている。
しかし隠しながらもにじみ出るほっと安堵したような雰囲気からするにやはり彼女があえて装う冷酷な雰囲気のそれは本心ではないのだろうなと武はすぐに気が付いた。
が、突然現れた少女がいったい何者なのかはやはり分からない。雰囲気的には今しがた話題に出ていた少女に似ているような気もしなくはないのだが…。
助け舟を求めるように武がカフアに視線を送るとカフアは目を丸くしてその少女を見ていた。
「シャ、シャロン!?さっき帰ったんじゃ…」
やはりこの少女が今まさに話の話題に上っていたシャーロット・ウォーレンフォードだったか、と武もカフアの反応に納得する。どうやら自分が彼女に抱いていたイメージもあながち外れてはいなかったな、とも。
しかし武がそんな事を思っているなど、もちろん知らないシャーロットは相変らず強気な姿勢を崩そうとはしない。
中身は武と言えど彼女が見ているのはあくまでカフアなのだ。
「そ、そうですわよ。けれどちょうど廊下でカフアの制服を届けに行くリントンとセラードに会いましたの。それでせっかくならカフアのだらしない寝顔をもう一目くらい拝んでやってもいいかしらと思い直して引き返したのですわ」
シャーロットに質問したのはカフアなのだがそのシャーロットの視線はじっとカフアの姿をした武に向けられていた。
その強きな態度にまさに“カフアに聞いた通りの子だな”と武は心の中で呟く。
と、シャーロットの言葉に続くように開いたカーテンの向こうからまた一人少女が現れた。
「そういうこと~♪起きた時にたくさん人がいた方がカフアちゃんも嬉しいかと思って~」
揺れるカーテンの向こうから嬉しそうに顔を出したのはセラードだ。
「カフアちゃんも目が覚めてたみたいでよかった~。制服とカバンを持って来たんだよ!リントンと帰りのHRも終わったから届けに行こうって話になって~」
名前を呼ばれたリントンがセラードの後ろから遠慮がちに顔を出す。
「そ、そっか。セラードにリントンもわざわざありがとう。あとシャロンも心配かけてごめんね」
「っ!別に私は心配なんかしてませんわ」
向けられる言葉はやはりつっけんどんだが、カフアの事を心配しているのは良く分かる。
ちらりとカフアに視線を向ければどうやらこちらはシャーロットの本心にはまだ気付いていないようで眉をしかめているが、ここにいる全員が『珈琲苦楽部』という繋がりをもっているようだし、それに武だけではない、当事者二人を除く全員が、シャーロットとカフアの仲についてはよーく分かっているようだった。


ToBeContinued…
 

bottom of page