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第一章 12杯目

『珈琲とバンカムの守り石』


言うが早いか、まるで今までの物静かでシャイなスワーナとは別人のように何かのスイッチでも入ったようにぐいぐいと―外見はカフアの―武の腕を引っ張って自分達が演奏していた楽器の傍まで連れてきた。
バンドメンバーに軽く挨拶を交わして武はスワーナに案内されるまま、彼女達が使っているという楽器に視線を移す。
そこには学生の部活動にしてはどれも本格的に思えるような機材がずらりと並べられていた。
「へー、WOW(ワウペダル)も使ってるんだ」
武が注目したのはペダルを踏みこむ事でギターの周波数帯を変化させる事の出来る機材、エフェクターだ。
「オーバードライブも使ってる!バイトしてお金貯めて買ったの」
武は一人ごとのように口にしてみたつもりだったのだが、隣にいたスワーナはキラキラと瞳を輝かせる。その様子には傍にいたバンドメンバーも思わず苦笑いを浮かべて…
「おっスワーナの音楽好きスイッチが入っちゃったみたいだな」
「だってやるからにはちゃんとした音楽をやりたいし、中途半端なものじゃ面白くないでしょ。それに見てる側にも伝わらない。いつも言ってる事だけど私はロックの良さをもっとみんなに知ってもらいたい!」
熱弁するスワーナに、軽くブレーキを踏んだつもりだったのだろう。が、逆効果の反応に声を掛けてくれたバンドメンバーが慌ててゴメンゴメンと手を振って見せる。
確かに少し話を聞いただけでもこの反応だし、アメリカにいた時友達の影響で少しかじっただけの武にも、スワーナのギター愛はしっかり伝わってくる話っぷりだ
まるで別人のように止まりそうにないスワーナのトークだが大きな咳払いで歯止めをかけたのは武―の外見をしたカフア―だった。
「あー、盛り上がってるとこごめん。にしてもカフアもオレが教えたギターの知識、ちゃんと覚えててくれたんだな。いつもは音楽とかあんま興味ないだろ」
武はカフアのその言葉にはっと言われている事の意図を察する。
そう、今の武はカフアと体が入れ替わっているのだ。このままではカフアが音楽に詳しかったり、バンドに興味があると思われてしまう。今はいいが体が元に戻った時に全く話が通じないのではスワーナをがっくりさせてしまうかもしれないし、何より不自然に思われかねない。
「そ、そうなのスーリー。こういうギターの知識とかホントは武の方が詳しいんだ。私が今話したことも全部武に教えてもらった知識で…あ、そういえば友達のお父さんがフェンダー社のギター使ってるって言っちゃったけど、あれも武の友達のお父さん…なんだよね、うっかりしてたよー」
今更、しかも後半明らかに棒読みながらも武―外見はカフア―は必死にそう方向修正を試みる。
「…そうだったんだ。そういえばこの前ボーカルに誘ったときはあまり乗り気そうじゃなかったし、こんな風に音楽の話で盛り上がったのも初めてだったから、今日のカフアは何か別人みたいだなとは思ったけど…」
どうやらスワーナもこの武の決して上手とは言えないが必死の演技といい訳に少々の疑いは持ちつつも納得してくれたようだ。ついでにもう一押し、決して別人ではないと言っておいた方が良いだろうかと口を開こうとした武の言葉よりも先にそれは別の声に遮られた。
「でっでも!わたくしだって武に比べたらまだ楽器の知識は浅いかもしれませんけれど、きちんとお勉強してますのよ」
そう言って、キッと嫉妬の視線で武―の外見をしたカフア―をにらみ付けるのはシャーロットだ。
“そういえばまだ一方通行ながらスワーナのファンがここにもいたんだった”
外見カフアの武は苦笑いを浮かべる。
が、おかげで話を逸らすことは出来たのでそこにはシャーロットに心の中で小さく感謝する事にした。そこに――
「今日はスーリー大人気だね。あ、そうだ!せっかくだし今度は武君も一緒にスーリーのライブ見に行こ~よ~。リントンもライブとか見たことないよね~?すっごい盛り上がるんだよ~」
決して意図したわけではなさそうだがタイミングよくセラードがうまく話をまとめてくれる。
“それは楽しみです”と話を振られたリントンもどこか控えめながらも自然な笑顔で頷き返していた。

***

「じゃあ武君、カフアちゃんまた明日~」
ハラハラする場面もありつつも、スワーナに誘われしばらく軽音部の練習を見学して5人は学校を後にした。
それも校門前に呼びつけた送迎車に乗り込むシャーロットを見送り、リントンとの別れ道で“また明日”と挨拶を交わし、そして今はセラードとの別れ道に差しかかった所だった。
ここでシャーロットと別れた後100メートルほど歩けば武とカフアも別れ道に差しかかる。
天真爛漫な笑顔で二人二手を降りくるりと背を向けて歩き出したシャーロットを見送って未だに武の姿のままのカフアは大きなため息を一つ落として歩き出した。
「今日一日様子を見てみたけど、全然戻りそうなきっかけも原因も掴めなかったね」
カフアより少し遅れて歩き出した武も、もう一度入れ替わった時の状況を思い出してみるものの、特段何をしたと思い当る節もなく眉間に皺を寄せる。
「んー、けど何かしらこうなったきっかけはあるんだろうしそれを掴めれば…。なぁカフア、ほら今朝オレ達が入れ替わってしまった時、何か気付いた事とかなかったか?どんな些細な事でもいいんだけど…」
あと100メートルを切ったこの距離を歩き切る前に入れ替わりの原因にたどり着ける糸口が何もみつからなかったら今夜はこのまま武はカフアとして、カフアは武として帰るしかないだろう。学校では何とか乗り切ったものの友達以上に自分たちの事を知る家族の前でこの入れ替わりの秘密が何も怪しまれずに過ごす事は出来るだろうか?朝の記憶をたどる武もこの現実には焦りが隠し切れない。
しかしそれはカフアも同じで…
「分かってるわよ、私も必死で考えてた。でも特に変わった事なんて…」
とその時、何度も同じ場面を頭の中に連想していたカフアの胸ポケットから小さな振動が伝わってきた。マナーモードにしていた携帯電話だ。
「あ、ちょっと待ってメールが…」
「ん?ああ、そういえば俺のも…」
同じタイミングで武のケータイにもメールを知らせるバイブの振動が走る。
この時間なら大手通販会社のメールマガジンだろう、武がそう思いながらケータイに手を伸ばした時だった。
「そうよ、ケータイ電話よ!」
カフアの閃いたような答えと共に伸ばされた手、それが武へと触れた次の瞬間、くらりとめまいに襲われて――。
思わず閉じたまぶたを武がゆっくりと開くとそこには今自分が立っていたのと間逆の位置の光景が広がっていた。そして目の前にいるはずのカフアの姿も、東茶屋武つまりは入れ替わった自分の姿のカフアではなくて、カフア・C・スイスウォーターその人の姿だった。
「武…だよね?」
こくんと首を傾げてそう尋ねる少女、夕日に染まる長い髪が肩に当たってさらりと落ちる姿に思わず見とれていた武はその言葉にはっと我に返る。
「あ、ああ。そっちはカフア、だよな。オレ達…」
「元に戻ったみたいだね。あ、そうだ」
カフアは制服のポケットに手を入れる。
“あそこには確か手鏡が入ってた…よな”
カフアだった時の武の記憶通りカフアの手には小さな手鏡が握られていて。
「私…うん、戻ってる!武もほら、自分の顔に間違いないよね!」
カフアに向けられた鏡の中に映っていたのは確かに自分、東茶屋 武の姿だった。
「私たちの入れ替わりの原因、どうやらこれみたいだね」
ふうっと長い一日を振り返るようなため息を落とす武にカフアがケータイを差し出す。
「ねぇ武、もしかして朝も私が武に触れた瞬間、ケータイが鳴ってなかった?」
「んー、どうだったかな。正確にはわからねーけど、確か登録してるSNSのメールマガジンが毎朝届くから、もしかしたらそれだったのかも」
あの時はカバンに入れていたから鳴っていたかは分らないが、思い当るとすればその節がある。
「うん、きっとそうよ!私もあの時ね、武に触れた瞬間のタイミングでメールが入ってケータイが鳴ったのを思い出したの」
武の曖昧な反応に反してカフアは自信満々にそう告げる。
「ようやくこれで解放されるわねー。でも結局さ、偶然同じタイミングでケータイが鳴ってる時に触っただけで入れ替わっちゃうってのも、“はいそうですかー”とはねぇ。…うーん、難しい事はわかんないし、疑問は残るけど元には戻れたんだし、ま、結果オーライかな」
終わりよければすべてよし!と言う具合にカフアは清々しくそう告げたが武はやはり原因がはっきりしない事が頭の隅に引っかかっていた。
「それより中のSIMカード、交換しとかなきゃだね」
「あ、ああ。そうだったな」
カフアの言葉に武も慌ててポケットの中のケータイ電話を探す。
互いに入れ替わった時ケータイごと交換するわけにはいかないので中のSIMカードだけ入れ替えておいたのだ。
と、ふと朝は気付かなかったカフアのケータイ電話に付けられたストラップが武の目に止まった。それは夕日と同じ鮮やかな色の琥珀の中にコーヒー豆が入った小さな飾りがついたケータイストラップで――。
「カフア、それ…」

 

「えっ?あー、そうそう。ずっと大事にしてるんだよ、武のお父さんが昔出張でエチオピアに行ったお土産に買ってきてくれた『バンカムのお守り』武はもう無くしちゃったかもしれないけどねー」
そう言って笑うカフアに武はカバンの中に仕舞っていた小さな袋を取り出す。
パワーストーンなどを入れて持ち歩く小さな巾着袋だ。そしてその中身は――
「オレも大事に持ってるよ。父さんがオレ達二人にって買ってくれたんだったよな」
武がお守り袋の中から手のひらにころがしたそれもまた、カフアがストラップにして持ち歩いている物と同じ『バンカムのお守り』だった。
「えっじゃあ武もずっと持っててくれたんだ!」
どこか嬉しそうにそう告げるカフアの頬がうっすらと赤く染まっている。
「じゃあさ、あの時の話も覚えてる?」
「ん?話?ああ、確か…父さんが、二人でペアルックみたいだなとかどうとか…」
「う、うん」
カフアが何かを待つように武の反応を見ている。けれど武はその意図が掴めず…。
「…それがどうかした?」
そう言えば何か答えが返ってくるかもと思ったのだが、年頃の乙女の心はそう易々とは開いてもらえるものではなかったようで…
「っ!もう知らないっ」
つんと口を尖らせてカフアはそっぽを向いてしまう。
「えとー…」
他に何か言われただろうか?考えても思い当るような事はないし、武に顔に焦りの色が浮かぶ。
「…もういいよ。それよりはい、SIMカード」
武の答えを待つのも諦めたのか、手際良く自分のケータイ電話から取り出したカードをカフアが手渡してくる。
「あ、ちょっと待って」
慌ててカードを挿し抜いて武もSIMカードをカフアへと渡した。
「じゃ、また明日ね」
カフアは何事もなかったようにスタスタと歩き出す。
「ちょ…カフ…」
カフアを呼びとめようとしたものの、呼びとめた所で何をどう話したらいいのか?結局武はカフアを呼び止める事が出来なかった。
「んー…ペアルック、か?でもあれは子供に対するただの冗談…だしな」
武は一人そう口にしてみたものの回答をくれるはずのカフアの姿はもうそこにはない。
「はぁ…昔はもう少しお互い素直だった気がするんだけどな」
ため息を一つ落とすと武もまた自宅の方へと向かって歩き出した。
まだまだ解決していない事はあるけれど、今は初めての登校日という以上に別の意味で長かった一日の疲れをゆっくりとお風呂に入って取りたい、のんきにそんな事を考えながら――。

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