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Short story-EveningCoffee-(前編)

―武―
「あら武、おかえりなさい」
菊陽高校での学生生活初日を終え、帰宅した武が自室へと戻るためキッチンを横切るとちょうど夕飯の支度をしていた母親が武を振り返った。
「ん、ただいま」
「今日は登校初日で疲れたでしょ?あっそうだ、カフアちゃんにも会えた?」
思春期真っ盛りの息子のそっけない反応にもめげることなく言葉を続ける母親に余計な詮索をされたくなくて、“んー”と生返事を返すと武はそそくさと自室へと向かう。
教科書の詰まったカバンをそのへんに転がして制服を脱ぎ捨てるとラフなパーカーへと着替えた。
そのままベッドにダイブしたものの、ふと思い出したように体を起こした武は先ほど転がしたカバンへと手を伸ばす。
がさごそとカバンの中を探って取り出したのは小さな巾着袋だった。
開いた巾着をひっくり返すと中から転がり出てきたのは小さな琥珀色の塊。
幼い頃、父親が出張のお土産にとカフアとお揃いでくれた『バンカムの守り石』だ。
窓から差し込む西日に翳すと琥珀色に輝く石の中に小さな珈琲豆が見える。
“えっじゃあ武もずっと持っててくれたんだ!”
ふと、それを見つめていた武の脳裏に、別れ際にカフアが見せた笑顔が蘇る。
キラキラと瞳を輝かせるカフアの顔は幼い日の面影を残しながらも昔見たそれよりも少しだけ大人びていて思い出した武の胸をドキンと高鳴らせる。
けれど、それと同時に思い出されるのはツンとすねてしまったカフアの顔だ。
「オレ、何か機嫌損ねるようなこと言ったかなぁ?」
武がくしゃくしゃと頭をかいているとぱっと部屋のドアが開かれる。
「お兄ちゃん、お母さんがご飯だってー!」
その言葉と一緒にひょっこりとドアの隙間から顔を出したのは妹の桜子だった。
「お前…ちゃんとノックしろっていつも言ってるのに」
無意味な事だと分かっていながらも武はそう小言を零す。
「あ、そういえば桜子、これ、首からさげられるように出来ねーかな?」
思い出したように武は手のひらの中の『バンカムの守り石』を桜子の前に差し出した。
「へー綺麗な石。これだったら、革紐通せばオシャレなペンダントに出来るんじゃない?」
「ふーん、じゃ頼むわ」
返事を待たずポンと桜子の手にそれを託すと武は部屋を後にする。
「ちょ、お兄ちゃん」
「人の部屋勝手に入ってきたバツ。つーか手芸とかもともと好きだろ」
軽やかに階段をかけ降りながら武は背中に聞こえる妹の声に振り向くことなくそう返した。
「もー人使い荒いなー。ご飯食べた後だからね」
諦めたようにそう返すと桜子も武の後に続いた。


End…

 

―カフア―
「お姉ちゃーん、お風呂どうぞー」
ほのかにシャンプーの香りが漂う髪をくしゃくしゃと無造作にタオルで拭いながらカフアの部屋にひょっこりと顔を出したのはカフアの妹、 イルガだ。
「はーい、サンキュ」
やる気のない返事を返しながらカフアは手にしていたケータイを机の上に転がす。
「あ、そういえば武くん帰ってきたんでしょー?元気そうだった?」
カフアのケータイに繋がれたストラップ『バンカムの守り石』がふと目に留まったイルガが興味深そうにカフアへと視線を向ける。
「んー、相変わらずだったよ」
妹の質問に適当に答えながらカフアはツインテールの髪からリボンを外すと、代わりにその長い髪をクリップで束ねた。
「そういえばさ、お姉ちゃんの髪も伸びたよねー」
「そうかなー?伸ばしてる本人は意外と気に留めないものなのよね。じゃ、私もお風呂入ってくるから」
イルガに背を向けたままそう答えるとカフアは部屋を後にした。

***

“髪…かぁ。伸ばし始めたきっかけも、そういえばアイツだったな”
浴槽に浸ってぼんやりと天井を見上げていたカフアの頭の中にふと幼い日の記憶が蘇る。
「カフアの髪綺麗だね」
それはきっと、言った側にとっては何気ない言葉だったと思う。
けれどカフアにとっては今でも忘れられない言葉。
あの日から伸ばし続けている髪は降ろせばもう腰の辺りまである。
一度、小学校の時クラスのいたずらっ子にガムを付けられて切った事があるけれど、それ以外はずっと先を揃えるだけにして大切に伸ばしてきた髪だ。
“あの時は、大泣きして、いたずらしてきた子の方を逆に泣かせちゃったのよねー。”
懐かしい思い出にクスリと口元がほころぶ。
“けどあの時は…この髪を切っちゃったら、嫌われちゃうんじゃないかって本気で思ってたからなぁ”
脳裏に浮かぶのは幼い日、自分の髪を綺麗だと言ってくれた男の子。
“カフア”名前を呼ばれる声が頭の中にこだまする。その小さな男の子の姿につい先ほど別れた武の姿が重なる。
「身長伸びてたなー。ま、8年も経てば当たり前か」
8年前、あの台詞を言われた日と同じように胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
「あーあ、でも鈍感なとこは成長なしね」
心にふと過ぎった切なさを振り払うように大きな独り言を零してカフアは立ち上がった。
カフアが出た浴槽ではゆらゆらと張られたお湯が大きな波を作っていた。


End…

 

 

 


―リントン―
“コンコン”
ノックした分厚い扉が低い音を立てる。
「はい」
中から返る声に重たい扉を開くとリントンはおずおずと中へ進んだ。
マホガニー材で作られた超が付くほど高級なプレジデントデスクに向かい、険しい顔でカタカタとパソコンを打つ男性の前に立つとリントンはすっと姿勢を正して深くお辞儀をする。
「た、ただいまかえりました、お父様」
その言葉に一瞬だけパソコンの音が止まるものの、それはすぐにまた再開された。
「今日は随分と遅かったじゃないか」
「…も、申し訳ございません」
ピクンと肩を震わせてリントンはただでさえ華奢な体をさらに小さくする。
「と、友達が体育の授業で怪我をしてしまって…。し、心配だったので、そのっ…」
ここまでのリントンの言葉に嘘はない。後はカフア達と打ち合わせ、迎えに来る予定だった従者に伝えた通り「友達を家まで送り届けてきた」と言えばいいだけなのだ。
けれどピリピリと漂うただならぬ緊張感と重圧に先の言葉が出てこない。
今まで父親に嘘などついた事がなかったという事実も後ろめたさをさらに増幅させているのだろう。
にぎりしめた手に汗が滲むのを感じながらリントンが続きが口に出来ずにいると…
「もういいから下がりなさい。今日は特別な事情があったようだが、明日からは自分の立場をわきまえるように。お前は大事な有馬財閥の後取り娘なんだからな。決められた事だけ、言われた通りにやっていればいいんだ」
「っ…は、はい、お父様」
うつむいた顔にきゅっと唇をかみしめながらもリントンはただ小さく頷くしか出来なかった。

***

「リントン!」
父親の書斎を後にするとすぐに背後から声がかかる。
リントンが振り向くと母親が足早に近づいて来てリントンの肩に優しく抱き手を置き、その顔を覗きこんだ。
「お父様にキツイ事言われなかった?」
「はい、大丈夫です」
心配をかけまいと気丈に微笑んで見せるリントンに母親もまた小さくため息をつきながら複雑そうな表情を浮かべる。
「ごめんなさいね。お父様もあなたの事が心配なだけなのだけれど…」
「ええ、分っています」
そう答えるリントンに母親は優しくリントンの紫の髪を撫でた。
「私も、いつだってあなたの味方ですからね」
「はい、お母様…」
リントンは大きく頷くともう一度微笑んだ。


End…

 

 

 


―セラード―
「たっだいまー」
「あ、おかえりー♪」
部屋をノックする音と共に背中に聞こえた声にセラードは振り向くことなくそう返すと手元へと意識を集中させた。
その手元には本格的なミシンとマチ針で固定された布切れが何枚も重ねてある。
「イザベラ、今度は何作ってるのー?」
勢い良く開かれた扉の向こうからパタパタと足音を立てながら近づいてくるのはセラードの妹、エレーナだ。
興味深々にセラードの手元を覗きこんでくる。
「バイトで使うエプロンだよ」
「ああ、カフアちゃんと一緒に決まったって言ってたコーヒー屋さんの?」
「そう、せっかくだからとびきり可愛いのにしちゃおうと思って~♪」
セラードはサクサクと布地を縫い進めながらもその手を止めることなくにっこりと微笑んだ。
「あ、これがその完成図なんだね」
エレーナはセラードの手元に置かれた手書きのイメージイラストを手に取る。
「おおっ可愛いけど結構複雑な作りっぽーい。あたしにはこんなの手作りするなんて絶対無理。あ、でもそうだっ」
肩をすくめながらエレーナはその完成図を元に戻すと、なにやら思い立ったようにセラードの部屋を後にし、大きなカバンを手に戻って来た。
それは、手芸や手仕事が得意な姉のセラードと違いスポーツが大好きな妹、エレーナがやっているフットサルの練習でいつも彼女が愛用しているユニホーム入れのカバンだった。
「セラード、このカバンすごく使いやすくて気に入ってたんだけど取っ手の部分が綻んできちゃって。こういうのも直せたりする?」
「んーどれどれ?」
エレーナの手から受けとったカバンをひっくり返してみたりしながらセラードは大きく頷き返す。
「うん、直せると思うよ。ここまでやったら一段落するから、そしたら直してあげるね♪」
「よかったー!じゃあ私先にお風呂入って来る。今日も練習でいっぱい汗かいちゃって~」
嬉しそうにぱっと顔を明るくするエレーナにセラードも頷き返した。
「じゃよろしく~」
顔こそ良く似ているものの性格は全く違う妹を見送ってセラードは再び手元に視線を戻す。
「よし、ちょっとスピードアップかな♪」
嬉しそうにそう口にするとセラードはミシンのスタートボタンに手を伸ばした。


End…

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