私立 菊陽高校珈琲苦楽部
六杯目 昼休みと珈琲
2時間目の休み時間にトイレ事件の一波乱はあったものの、3時間目、4時間目と何とか問題なく授業を終えた武とカフアはようやくこの日の昼休みを迎えていた。
「うーん、疲れた」
大きく伸びをするカフア―といっても中身は武なのだが―を“お行儀悪い”といいたげに武の姿をしたカフアがきゅっと睨みつける。
一方そんな二人のやりとりを見ていたセラードはくすりと笑いを漏らすと昼食のお弁当をカバンから引っ張り出した。
「ねー武君、よかったら屋上で一緒にご飯食べないー?お天気いいから絶対外が気持ちいいよー」
確かに、入れ替わったまま未だ元に戻る気配がない武とカフアの曇ったままの心境とは裏腹に外は快晴である。
花はほぼ散ってしまっているが、代わりに出始めた鮮やかな新緑の芽が眩しい校庭の桜も、校外に広がる街並みも、屋上からなら綺麗に見渡せる事だろう。
「そうだな、じゃあそうさせてもらおうかな」
今は武の中身であるカフアがちらりとカフアの体に視線を向ければ回りに気付かれないよう小さな仕草で“そうしてくれ”と中身の武が頷いてみせる。
こういったやり取りも朝に比べれば上手く交わせるようになってはきているものの、やはりお互い単独行動は出来る限りは避けたい気分だった。
「よーしじゃあ決定ね。あ、そうだ!せっかくならスーリーも呼ぼうよー。人数は多い方が楽しいし。私スーリー誘ってくるから二人は先に屋上行っててー」
武とカフアの返事を待つまでもなくセラードは駆け出す。
「了解!よろしく」
セラードの背中を見送って武っぽく返事をしたカフアは武へと向き直った。
「スーリーね、いつも軽音部の部室で一人で好きな音楽聞きながらご飯食べてるんだって。それもそれで楽しいだろうけど、でもやっぱりご飯はみんなで食べた方が美味しいもんね」
微笑むカフアの台詞に一瞬ドキンと胸が高鳴るような感情を覚えた武だったが、振り向いた先に見えた笑顔は紛れもなく自分の顔で、これがカフアのそれだったらきっともっと別の感情が湧き上がってきたのだろうが、その感情は一気に熱を失う結果となった。
「で、武はお昼は購買?それともお弁当?私のはカバンの中に入ってるからそれ持って出てね。一応怪しまれないように今日はお互いのお弁当を食べた方がいいだろうから」
その言葉に武がカフアのカバンを開くとピンクのハンカチに包まれた可愛らしいお弁当箱が見えた。
「うわー、女子の弁当ってほんと小さいんだな。これだけでお腹いっぱいになるものなのか?あ、オレのも弁当がカバンに入ってるよ、今朝母さんが持たせてくれたから」
今度はカフアが武のカバンを開く。
「おおっさすが男子弁当!おっきいねー。私の方はこれ全部平らげられるか心配だよ。あ、私今ダイエット中だからお弁当小さめなの。足りないなら購買寄ってく?」
“わざわざダイエットなんかしなくても今のままで十分魅力的なのに”とは思ったものの女性の『ダイエット』には余計な口を挟むもんじゃない。同じく『ダイエット』と『挫折』を繰り返しては嘆く妹や母親に学んでいる武はその言葉を飲み込んで思考を切り替えると、小さなお弁当に加えてパンを2つばかり平らげるカフアの姿を頭の中で想像してみた。
きっと自分のお腹は満たされるだろうが一緒に食事をすることになっているセラードとスワーナの驚きの視線は避けられないだろう。
「…いや、今日はこれでいい」
あきらめにも似た声でそう答えると武は小さなお弁当を引っ張り出した。
***
「お待たせー」
武とカフアが屋上に着き場所を決めた頃、セラードとスワーナも合流する。
と、こちらに向かって歩いてくる二人の後ろにもう一人、少し遠慮気味に付いてくる少女の姿に武は気が付いた。
「リントン?」
名前を呼ばれた少女が控えめに顔を上げる。
「カフアちゃん、あの…今日は私もご一緒させてもらってもいいかな?」
そう、二人と共に現れたのは先ほどトイレで会ったリントンだった。
中身は武なのだが、そうとは知らないリントンはカフア姿の武に向かってそう訪ねる。
断る理由もないし、むしろ人数が増えるのは賑やかになっていいことだ。
「もちろんだよ。お腹すいたよねー。リントンもお母さんの手作り弁当?」
そう尋ねてみた武は会話を弾ませるために何気なく口にしたつもりだったのだが、隣に座っていたカフアがすかさず武の脇腹をキュッと抓った。
「イテッ」
今は自分の外見がカフアである事を考える余裕もなく思わず素の声が出てしまった武に一瞬カフア以外の3人の視線が集まったがそこは笑ってごまかす。
「バカッ!リントンのとこは食事はいつも専属シェフが作るようなお家よ?お弁当だっていつもは食堂でご飯食べてるんだから!」
こっそり武にだけ聞こえるよう耳元で告げられるカフアの言葉に、抓られた理由と同時にここでもリントンの家庭の複雑な事情に気付かず軽く口にしてしまった自分に、また“しまった”と武は小さな罪悪感を覚える。
けれど、一方のリントンはそう気にした様子もなくにっこりと笑顔を浮かべると購買で買ってきたであろうパンの入った袋を掲げて見せた。
「今日はみんなとご飯食べたくて、購買部でパンを買ってきたの」
「へーそうなんだ。購買部って人多くなかった?お目当てのパンはちゃんと買えた?」
武の姿のカフアが心配したようにリントンにそう訪ねる。
一方カフアの中身に入っている武も、その言葉に今しがた通ってきた購買部の様子を思い出していた。
屋上に来る途中に前を通っただけだったが、購買部の外まで溢れる生徒の姿を思い出すと、目の前にいるおとなしそうなリントンがその波にのまれながら焼きそばパン等をつかんでいる様子は想像もできない。
どう見てもリントンは優雅なカフェで紅茶片手にスコーンをつまんでいるようなイメージだ。
リントン本人もそれはよくわかっているようでちらりと隣のスワーナに視線を移した。
「今日は、スワーナちゃんが助けてくれたの」
その言葉にセラードが隣で大きく頷いた。
「そうだよー、スーリーはね、こんな華奢な体してるけど、運動神経抜群なの!購買部の混雑だってさささーって人の間を上手に抜けてって、あーっという間にお目当てのパンゲットしてきてくれちゃうんだから、お弁当持ってきてない日はほんっと頼りになるんだよねー」
「日頃からバスケで敵のガードを抜けてく動き練習してるから。購買部でも人ごみを縫って行く位の動きならそんなに大変じゃない」
甘えるようなセラードの声に自身も購買部の袋を持ったスワーナが頬を赤く染めている。
もともと口数は少ないスワーナだがここは素直に喜んでいるらしい。
「へー、スワーナさんってバスケもやるんだ。今度ぜひオレも一緒にやってみたいな」
もちろんそう口にしたのは武の中にいるカフアなのだが、みんなから見れば武がスワーナを誘ったように見えるだろう。それに気づいた武が慌ててフォローを入れる。
「ああえーっと、私も!私もやりたいなー。スーリーってバスケ上手そうだし、武は男の子だからそこはハンデとして武VS私&スーリーの対決とか!面白そうでしょ?」
武―もちろん中身はカフアなのだが―の言葉にスワーナは一瞬驚いたような顔をしたが、それをフォローするように入ったカフア―こちらの中身は武なわけで―の言葉に朝よりは少し警戒心も解けたのだろう、ごくわずかな表情の変化だったがそれでも小さく微笑んで頷いた。
「うん、それなら私もやりたいかも。あと、私の事はスワーナでいい。だから私も武って呼んでいい?東茶屋君ってかしこまり過ぎてる感じがして呼びにくいし、武君って君付けにするのも逆に照れくさいから」
スワーナのその言葉に武もカフアも一瞬驚いたが、それでもスワーナが自ら歩み寄ってくれたのは嬉しい。
「「ああ、もちろんだよ」」
武の代わりに答えたカフアに今はカフアの姿をしている武まで嬉しさのあまり返事を返してしまい二人は同時にそう声を上げてしまっていた。
二人のみごとな重なりっぷりにそこにいた全員が思わず目を丸くして、ただ1人状況を把握しているカフアの中の武だけはしまった、と冷や汗をかいたのだが、くすりと笑いを漏らしてくれたたリントンの声に場の雰囲気は一気に和んだ。
「ったく、カフアが返事してどうすんだよー」
武の姿をしたカフアもけらけらと笑ってごまかしてくれたのだが、“ちょっと、気を付けてよね!”と言いたげに向けられた視線が実は笑っていなかった事を知っているのはもちろん
「えへへっ、そ、そだねー。なんだかみんなの距離が一気に縮まった感じがして嬉しくてつい私もつられちゃった…」
と引きつった笑顔でごまかすカフア姿の武だけだった――。
ToBeContinued…